東大の赤門は学びの門じゃない!?
東京都文京区本郷の東京大学には、学びの門なる物があります。
しかし、実はこれは、元々は学びの門などではなかったのです。
赤門(学びの門)があった場所には、かつて加賀藩前田家の屋敷がありました。
赤門は、その前田家の門の名残なのです。
第11代将軍・徳川家斉(いえなり)はオットセイ将軍とも呼ばれるように、精力絶論で、40人の即席を持っていて、53人(55人との説もあり)の子をもうけていました。
そのうち無事成人したのは13人だけでしたが、その中の1人、溶姫(ようひめ)を加賀藩前田家の前田斉秦(なりやす)に嫁がせました。
江戸時代、将軍の娘を嫁に迎える際には、新たに奥方御殿を造営し、さらに朱塗りの門を建てるのがしきたりになっていました。
そこで前田家は御殿を作り、切妻式で左右に破風造りの番所をそなえた、朱塗りの門(御守殿門)=赤門を建てました。
つまり、赤門は元々は結婚のための門だったのです。
それが現在では何故か学びの門となっているのです。
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