幽霊には何故足がない?
実在するかどうか自体不明なのですから、この疑問は前提がおかしいと言えなくもないですが、まぁともかく絵に描かれる幽霊はみな、足がありません。
何故でしょうか?
この「足無し幽霊」ですが、誕生したのは意外と最近で江戸時代中期のこと。
それ以前の幽霊画は、生きていたころと同じ形をしていたので、ちゃんと足がありました(ちなみに、その時代の文学作品は、『四谷怪談』や『番長皿屋敷』)。
では、誰がこの「足無し幽霊」を確立させたのでしょうか?
この「足無し幽霊」を最初に描いたのは、江戸時代の写生画家、円山応挙(まるやまおうきょ/1733〜1795)と言われています。
円山応挙が描いた「足無し幽霊」の絵の題名は、「反魂香之図」。
円山応挙の絵は歌舞伎にも影響を与え、幽霊の役の時には長い裾の着物を着て、足を見せないような演出になっていきました。
ただ、円山応挙の「反魂香之図」ですが、この「香」と言う字には「煙」と言った意味合いがあります。
そのため、「反魂香之図」では、「足が無いのではなく、足が『見えない』のではないか?」とも言われています。
また、「反魂香之図」を書いたのが、本当に円山応挙なのかどうかも、よくわかっていません。
それと、「幽霊画家」として有名で、足無し幽霊を確立したのは円山応挙ですが、足無し幽霊を最初に描いたのは、円山応挙では無いようです。
「浄瑠璃」と言う、室町時代からある語り物(物語を歌って聞かせる形式の物)があります。
その浄瑠璃の中に、「花山院(かざんいん)きさきあらそひ」と言う物語があります。
浄瑠璃には、その浄瑠璃を文字で記した「浄瑠璃本」と言うものがあり、「花山院きさきあらそひ」の浄瑠璃本の挿絵に、既に足無しの幽霊が登場しているのです。
これは、円山応挙が生まれる1733年の60年前、1673年の物です。
この絵が、日本初の足無し幽霊と言われています。
ちなみに、今回登場した円山応挙さん。
明・清(今の中国)の写生画や、西洋画の遠近法を研究し、遠近・写実を取り入れた新様式を確立した人でもあります。
代表作は「保津川図屏風」「雪松図屏風」などです。
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